私にとってのエヴァ


  最終話がいきなりの展開になり疑問に思った方も多いでしょう。しかし
エヴァに出てくる中で一番重要な事、それは人類補完計画です。
  それで私が最終話をみて感じたこと、それは「補完」ではなく、「確認」で
はなかったでしょうか?
  人間は自分のことしか考えられない、例え他人に優しくする人でもそうした
  自分をいい人間だと感じることによって、また、他人にそれによって認めら
  れることによって自分の存在を感じている。そうしないと自分を保ってられ
  ない。だがそれは他人がいることによって成り立つ。だから他人との「関係
  」のなかでどれだけうまく自分自身を前に出せるか、それが私たちが生きて
  く上で一番重要な課題の一つ。
その「確認」であったと思うのです。そして自分自身をしっかり出して他人
と接した時、はじめて偽りではない幸せが生まれる。
それをゲンドウとユイは分かっていて、人類補完計画を変えたのではないでし
ょうか。ゼーレの言う「補完」はまさしく人類の上からのもの。人間だから人
間の上には立てない。天は人の上に人をつくらず。(本来の意味は違うらしい
ですがそれはここでは述べません。)また、人間は人間だからよい気がする、
そういった意味での「補完」ではなかったでしょうか。
 それと「好きなことをしてればいいじゃないか」という言葉。現代の日本人
若者の弱さを表した言葉ですね、いろいろな本や雑誌にも書かれてますが。今
よく言われる表面だけの付き合い。これが全て悪いとは私は思っていません。
自分に害を与える人間としっかり接しても仕方がないとは思います。しかし、
全然接しようとする努力をしないのも面白くない生き方です。相手がどう考え
、どう思うのか。それをしっかりと確認しないで一回の喧嘩で勝手に相手が自
分を悪く思っていると考えてしまう。しっかり話し合ってそれで駄目であれば
どうしようもないでしょう。その場合はあきらめもつきます。嫌われるのが嫌
だから? それはおかしいと思うんです。自分が本当に好きな相手であり、そ
して自分をしっかり見てくれる人であるならば仮に注意したり、口論したりし
ても間違いなくそれをいい風に解釈してくれます。それに逆に自分であった場
合、そうすべきです。深く考えないことには始まりません。そういう意味では
アニメにしても言えることで、いいアニメはどこがいいのか考えて見るという
ことです。自分のストレス解消になってるのか、それともその作品の内容にす
ばらしい価値があるのか。大抵はストレス解消だと思うんです。なぜならアニ
メは誰もが見やすいように作ってあるのが普通ですから。儲け主義なのは企業
として当然ではありますし。エヴァは凄い価値があった。それが分かるのはい
ろんな雑誌や本に取り上げられたり、それについての考察を示した本まで出て
いることから明らかです。本当に面白いものにメディアはない。それをわかっ
て見ているのか、知らないで大衆に流されるまま見てるか、それだけでも全然
違うんです。そういった自分に恥じない生き方が人間の全てだと私は考えます。
そしてそれを教えてくれたのはエヴァです。
だから私はエヴァが好きです。


伊吹マヤのホームページへ